top of page
執筆者の写真NANA

高校生〜大人になるまで

更新日:2023年4月11日

過去記録ということで、前回は幼少期~小中学生頃までのことをお話しさせて頂きました!


それでは続きで、高校生~大人編です!




高校時代、といっても最初に入学した高校を半年で退学し通信に移行!

一番青春で楽しいであろう高校生活の思い出は、バイトを3つ掛け持ちとにかく働きまくるフリーター生活の思い出しかありません(笑)

しかし、授業やイベント行事に出なければ卒業できないシステムだったため、学校の友達もできバイト仲間にも恵まれ、使えるお金は自由にあったのでとても楽しく過ごしました。笑


よくお子様の不登校や学校になじめないといった悩みを抱える親御さんもお店に来られます。

無理をしながら全日制に通うくらいなら、通信で勉強しながら早めの社会勉強をスタートしてしまった方が、よっぽど有意義に過ごせると私は経験談から思いましたので、通信制はとってもおすすめです。



…話が逸れましたが、(笑)私がはっきりとした心霊体験をしたのは17歳の時です。

当時は見えない物の世界を全く信じていませんでしたし、幼いころの体験もあまり気に留めていなかったため、心霊スポットが好きな友達によく連れられて行っていました。

今考えれば絶対にやってはいけないことです。。。


そこで、何もないよ~笑 といつも通り先頭を切って進んでいたところ、はっきりと人の形をした人ではない何かを見てしまい、叫んで逃げました。

私自身よりも、周りにいた皆の方が怖かったと思います。笑



それ以来心霊スポットに行くことはやめましたが、そこから度々何か嫌な感じを覚えたり、ここはダメだと感じる事が増えていきました。



その後専門学校に通いだし、初めて地元を離れ学生らしい生活を送りました。

しかし、慣れない生活のせいなのか、半年ほどで自律神経失調症となり、抑うつ状態の日々に約1年悩まされました。


薬をいくら飲んでも治らず、朝が来ることが怖く、絶望的な気持ちの毎日。

このままずっと眠ってしまいたいと睡眠薬を大量に飲むなど自殺未遂もし始めてしまっていた頃でした。

恩師でもあり今のこのお仕事をする上で私の師でもある存在の巫女さんと出会います。


この方は占いとは別格の、霊視を行うことのできる方でした。

一向に体調の良くならない私を心配して、母が私に霊視を受けさせてくれることに。


家系図を持っていき、自分の名前を半紙に書き霊視が始まりました。

まず最初に言われたことが、「お母さんの水子があなたについてます。」


水子の意味すら当時はわからない私。水子とは、流産や死産した子供の霊です。

母は私を生む前に、一人流産していました。



この子が珍しいパターンで、自分の母ではなく、きょうだいにあたる私に憑いていました。

水子に憑かれてしまうと、身体がない水子としては色々なことに後ろ向きで、新しいことに挑戦できなかったり否定感が強くなるそうです。

この影響もあり、私は20年間の人生を2人分生きてきていることでとても疲れてしまっていると言われました。


一通り家系のことや、私の名前から私が持つ使命や、これまでのこと、これから起きていくことをどう受け止めるべきなのかを聞きました。


最後に水子を供養するため、あらかじめ持参させられていたぬいぐるみに水子の魂を移します。

「最後のお別れをして下さい。と席を外す巫女さん。


母はぬいぐるみを抱え、ごめんねと泣き続けていました。

私も隣で涙が止まりませんでしたが、ふと「謝ってほしい訳じゃない」と声のような、私の頭の中に直接浮かんでくるような感覚がありました。


その後巫女さんが戻り、水子側からの最後の言葉を代弁してくれましたが、「詫びて欲しい訳ではない」というメッセージもやはりありました。



私が生まれる前、初めての妊娠で戌の日を迎え、安心していたところ突然の出血。

そのまま切迫早産が進み、流れてしまったそう。

幼い時からこの話は母に聞かされていました。本家に帰るとお墓に小さなお地蔵さんがあり、「お姉ちゃんのお墓だよ」と。


しかし供養してみてわかったことは、この子はお姉ちゃんではありませんでした。

私は家系で一人っ子の一人娘。この水子となった子は男の子で、本来この家を継いでいく役目を持って生まれるはずの子でした。

そのせいなのか、果たせなかった使命や自分のふがいなさ、生まれたかった気持ちと後悔が強く、成仏することが出来なかったようです。


最後に、生まれ変わったら私の子としてもう一度戻ってきたい、それが叶わなくとも、なんらかの形でもう一度会いたいと、私と母の現世と彼の来世でもう一度会うことを約束しました。



現在息子と娘を授かった私ですが、とくにどちらかが生まれ変わりなのかどうなのかは確かめていません。(なんとなくですが、どちらもあの時の子とは違う気がしています。。)



そして、1年以上治る事のなかった私の精神的な病は、水子供養を境に一切なくなりました。


なぜあんなにも苦しく辛い毎日だったのか、なぜ毎日死にたいと思っていたのか、今となっては不思議です。

それでも、そうした時期があった事は私にとって今はプラスになっています。


あの頃があったおかげで、同じように気持ちが前向きになれない方や、毎日が辛く苦しいという方の気持ちを理解する事ができますし、当時を思い出しながら同じ目線でお話やアドバイスをすることが出来ています。



これがちょうど、20歳の頃の出来事でした。

目に見えない世界に興味を持つようになったきっかけです。

そして、どん底の精神状態を乗り越えたことで、人のメンタルヘルスに関わる仕事がしてみたい、今度は自分も誰かの力になりたいと、この時強く思い始めたのでした。


以上、高校生~大人編でした!

体験記はまだまだ続きます😉




















閲覧数:748回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Kommentarer


Kommentarer er slået fra.
bottom of page